自粛という言葉を辞書でひくと、「自分から進んで行いや態度を慎む」とあります。慎むとは控えめにするということですから、自発的に行動を控えるわけですね。
最近話題の「花見自粛問題」ですが、自粛なら各個人の裁量で決定されるべきことなのに、どうやらそんな雰囲気でもなさそうです。例年お花見スポットでにぎわう公園などは、花見客受け入れ態勢を縮小し、自粛を呼びかける看板を設置しています。これは「やんわりとした禁止」ではないでしょうか。
電力の問題、物資の問題は当然あるでしょう。それは協力すべきだと思います。ですが、世間のムードがそうだからという理由で自粛を押し付けられるのはどうかと思います。
これはもはや理屈の問題ではなくなってしまったので、どこまでいっても「自粛派」と「自粛反対派」が交わることはないでしょう。自粛派の人には、「大変な思いをしている人がいるのに浮かれている場合じゃない」という主張があり、自粛反対派の人には、「経済活動を停滞させては復興財源が減ってしまう」という主張がある。被災地を想うベクトルは同じはずなのに、、残念です。
岩手県の酒蔵「あさ開」さん、「南部美人」さんは YouTubeに「被災地岩手からお花見のお願い」という動画をアップさせています。
(YouTube動画: あさ開さん http://www.youtube.com/watch?v=hHucTlBohfg&NR=1
南部美人さん http://www.youtube.com/watch?v=UY0FtSqrMBc&feature=related )
なるほど、被災地の方がこういう意見を動画で配信されておられると、とても説得力があります。私も岩手出身なので応援したくなります。
これに対して、「花見じゃなくても家で飲んだらいいじゃないか、なぜ屋外で騒ぐのか。そもそもビールを飲んでいる人の方が多い」という意見もあり、本当に何が正解なのか分からなくなってきました。
岩手県盛岡市には、「石割桜」という樹齢360年をこえる桜の銘木があり、文字の通り岩を割って桜の木が生えています。
(参考:ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/石割桜 )
火災や気候の厳しさにも負けず、毎年見事に花を咲かせる逞しさは、人に感動と勇気すら与えます。
桜は人の意見が対立しようがしまいが、自粛で誰も花見をしなくなったとしても、ちゃんと毎年咲き続けます。古くから日本人の文化に根ざしてきた桜をめぐって、誰かが悲しい思いをしたり、経済が低迷したりでは、日本中に桜を植え続け、守ってきた先人に申し訳が立ちません。
酒は飲んでものまれるな、と言いますが、他人の意見も同じですね。こんな時だからこそ、他人の意見に流されることなく、 しっかりと自分の信念をもって行動したいものです。


